人は、心に焼きついたイメージを具体的に表現したいという欲求にかられる。
恐らくそれは僕だけではないと思う。
その表現方法は、時に音楽かも知れないし、ダンスかも知れない。
料理かも知れないし、文章かも知れない。
商品の開発かも知れない。
僕は、多くの場合、それが「絵」でした。
ある時見た風景。
その匂い、感触、音、時間。
全てが結びつき、醸成され、強烈なイメージとなって自分の中に湧き上がる。
すでにそれは、現実世界で再度確認することは不可能な、ある一瞬の記憶に過ぎない。
だからこそ、何かで表現して、すなわち現実世界にフィードバックしなければ、二度と出会うことができない。
その感動をその興奮をその美しさをそのもどかしさを。
僕はただ、現実に描き止め、再確認し心ふるわせる。
人は何かに感動した時、生きていることを実感し、生きてることに感謝できます。
無感動の日々は、より機械的となり、感情を失ってしまいます。
そこから感謝の言葉は生まれません。
「絵を見て、人は感動できる。」
絵を描くのも見るのも、小さな、または大きな感動体験であり、それは自身の思考をまたは他人の思考を通して得られる生きる喜びである。
もし自分の絵が、見てくれた人に生きる喜びを与えられるなら、そんな嬉しいことはありません。
冨樫 孝希